2008年06月21日

高デメリット・高リスクの穀物製バイオ燃料(2)

 前回の『高デメリット・高リスクの穀物製バイオ燃料』で、上げ切れなかったものがあることから、本ページでは、バイオ燃料について、更に深いところを取り上げていくことにする。

 つまり、実のところ、取り上げていない問題がたくさんあるので、これを取り上げていくことを考えている。そして、発生するだろうリスクを、わかる限り取り上げていこうと思う。



 バイオ燃料の中で世界の生産量が最も多いのは、燃料エタノールであることは、前回の話で取り上げたが、2005年には、アメリカでは、エタノールがガソリンに混合されるようになって、【有害な添加剤 MTBE 】―〔メチル-t-ブチエーテル:ガソリンに添加され、ガソリンスタンドの地下タンクからの漏出で、大々的な地下水汚染をもたらし、アメリカで大きな問題となった〕という実例がある。

 こういった実例の事件は、発展途上国が同じ技術を扱おうとしたときに発生し易い問題となる。そのようなケースを引き起こす可能性が極めて高いのが、中国で、10年という非常に短い期間で急成長したために、生じさせてしまう問題だと考えられる。

 というのは、日本でも早すぎる成長だといわれた30年間であったが、もともと国民が危機管理の認識が厳しかったため、公害についての訴訟や法律改定をきっかけに、高度経済成長の中でも獲得した〔産業で発生するリスクに対する対応能やノウハウ〕といったものを獲得してきた結果、日本は技術力が高い国となっている。実際、調べてみると、日本の技術は、どの国の技術よりも高く、エネルギー生産能力が高い上に、リスクを軽減させるテクノロジーを獲得している。

 しかし、見よう見まねで急成長をし、産業で発生する公害の痛手を経験していない場合には、気がつかないところだと考えられる。次にあげられるのは、迷信深い傾向にあるインドである。また、アジア地域において、環境問題が険しいデータが過去より挙げられていたように、公害に対応するだけの能力が在るかどうかについては、自力で解決できなかっただけに、難しいところがあるかもしれない。


 一般的には、原材料が自然界にある有機物であると、安全であると容易に認識してしまうものかもしれないが、実はそうではない。

 実は、原料がたとえ自然界に存在する有機物であったとしても、化合させる物質によっては有害になることがある。

 また、バイオテクノロジーで化学反応を起こして変化させれば、有害物質となり易くなる。つまり、こういったものには、公害がつき物だと考えてほぼ間違いはない。

 なぜなら、実際、ガソリンスタンドなどで、まったく燃料を落とすなというのは、物理的に不可能である。燃料の生産過程というのは技術力の差がどうしても出てしまいがちであるので、技術力が低い場合のものには、やはり、公害が発生し易くなる。

 環境汚染はもとより、環境ホルモン物質による汚染の可能性もあり、環境ホルモン物質の場合は、捕食されるたびに、捕食者のその体内で「10^10」の割合で濃縮されていくので、生態系の上に行くほど毒物が濃縮されていくことになる。

 また、燃料として使うと同時に、ナノ物質公害で発がん性を生じさせる患者が増えることも考えられる(Nature誌にもいくつか報告されたが自身のすとっくから、まだ見つけることが出来ていない)。したがって、ナノ物質公害に対応するには、ナノ物質公害の対策を施した部品が開発されない限りは、リスクがつき物となる。

 つまり、ここで取り上げているのは、考えられるリスクを考えられるだけ取り上げている状態である。したがって、まだ解決しなければならない問題が内在している状態にある、という意味合いで取り上げている。


 次に、上記の問題を環境衛生上の基準値まで達成できているのを前提においた話で、生産コストに影響がないと考えられたバイオ燃料を取り上げようと思う。

 バイオ燃料においては、需要の拡大によって、さらに幅広い供給原料から、より効率的に生産するような新技術の開発も進んでいる。たとえば、セルロース由来のバイオ燃料は茎や葉などの価値の低いバイオマス繊維から生産できることから、着目された技術で、プラントにおいては、自身が調べ始めた9年前にはあった技術(日本の企業のもの)である。この技術についてあと10年後には採算が合うだろうと予測している人も多いというが、専門の検査機関を通しての有害性の検証は必要かと考えられる。

 つい最近のものであれば、『工学:バイオ燃料として分枝高級アルコールを合成するための非発酵的経路』というものがある。

 しかし、どんなに実用性のある質の高いものを開発したとしても、周囲の環境が、環境保全を行った上でエネルギー供給を得ることが実現できるだけの立地条件が成り立っていないと非常に厳しい。

 いずれにしても、リスクに対応できるだけの部品の開発が求められるのは避けられない話で、その前提には、石油業界と自動車製造業界の摩擦という問題もある。


 しかし、それとは別の話…。

 少なくとも、バイオ燃料においては、環境エコ関連の研究者が謳うような〔バイオ燃料についてのメリットの見込み〕というのは、非現実的であると思えてならない。なぜなら、人間活動で生じる(誤った取り扱い、といったアクシデントや事故などの)カオスや不確定要素といった計算を入れておらず、見込みが極めて甘いからだ。実際の現場においては多くの問題を抱えていることが多いだろうと想定している。

 中にははじめに立てた計画において目標を達成できたというところもあるだろうが、少なくとも立地条件次第なので、どこにでもいえる話とはいえないだろうと考えている。

 確かに見た目上にはメリットに見えるかもしれない。しかし、物理上ではデメリットやリスクが非常に高くなるのは、組み換え遺伝子の食物が引き起こすデメリットは日本においては既に経験してきた話で、近年には科学の世界でも取り上げられた話だ。

 また中国が薬物産業に手を出したとたんに海外では薬害問題になったのはつい昨年の話で、ペット・フード事件で明らかになった『フード&薬害事件』で、おもちゃにも毒物が付着していたなど、記憶がまだ新しい。

 即ち、化学では公害がつき物だということを考えると、結果的には、実際に浮き彫りになるのは、リスクの方が大きいものになると自身は計算している。


 バイオ燃料にもっとも期待されるところのひとつは、地球環境に大きな影響をもたらしている化石燃料の代替となる可能性である。しかし、慎重に開発させなければ、他のさまざまな環境問題を悪化させる可能性が大きいことは否定できない。

 バイオ燃料とは実質的に、光合成により太陽エネルギーを液化する方法で、最大の懸念は、正味エネルギーの収支である。つまり、バイオ燃料を生産するために消費されるエネルギー量が、最終的にそのバイオ燃料に含まれるエネルギー量よりも多くなるかどうかであり、とくに肥料、トラクターの燃料、加工に要するエネルギーなどの化石エネルギーなどが問題となり易いケースである。

 逆の視点で言えば、現在自家用車はPCのオフィスやソフトと同じで、軽量化の合理性を考えずに重量系の更新をしているが、今後の見通しでは、より、温室効果ガス削減の効率を上げるには、重量を軽量化をさせなければ難しくなるだろう。

 このように、問題を解決するには、さまざまな角度から見て、修正を全体的に施しながら対応していくのがベストである。それは、地味な作業ではあるが、確実な方法である。


 現在、発展途上国にバイオ燃料の製作を促されている傾向にあるようだが、これには、立地条件次第だといってよいかと思われる。なぜなら、元から水資源が豊富でない場所でない場合は、地下水を枯渇させ易くし、砂漠化させる原因ともなる。水質に恵まれ場合は、生産過程で良質の燃料を作ることが出来ないため公害を出す可能性が高くなる。また、精密な過程をえての技術が必要な場合、それだけの仕事をこなすことができるかどうかで人材を選ぶことにもなるだろう。もし、条件が満たされていなければ、結果的には、首を絞めることになるからである。


 勿論、発展途上国への技術協力において、日本企業ではおなじみの企業活動の一環となるが、政府の依頼や企業の事情から技術協力するといった〔技術系の企業〕や、Natures誌やNatureダイジェスト(Augast 2005 Vol.2, No.8)で取り上げられたような〔科学者が活動するNGPやNPO〕での場合には、実際の技術面はさておき、先進国基準にのっとっての水準は満たしているかと考えられる。

 傾向で言えば、科学者がかかわっている場合、他に資金を支援するから成り立つものであることが多く、企業に比べ、コスト面やリスク対応についてシビアではない。

 それには、企業に向けられるようなクレームの対応など、社会的な責任がかかっていないところにある。そこは、企業においては社会的な責任が重要となってしまうからそうなるのであるが、結果的には自社株にも影響が出てしまうため、企業の場合はシビアに奈良にならざるをえず、研究機関のように予算を受けられるわけでもなく、一般から投資を受けるわけであるから、株主総会で定期的に説明しなければならないだけ、よりシビアになる。

 研究機関の場合はそれがない分だけ、研究に修していることが多い。このため、中には採算のとれていない研究計画もある。しかし、予算を受けられるので、研究者は研究に打ち込むことができる環境内で研究が続けられている。

 これに対して、企業である場合にはコストが成り立たなければ、まず手をつけないものとなっており、あくまでも、予算枠内でコストが成り立つように予めから工夫されている。企業の場合は、そのほとんどがこれまで培ってきた技術の提供であるから、一般的に高コストとはならない。むしろ、日本の技術力の高さに、先進国や発展途上国に問わず、海外から驚かれるのが日常茶飯事となっている。

* (:但し、「発電所建設」や「地中化工事」などを筆頭とした〔都市計画〕といった大型なものである場合、行政より外注で依頼されたものでないので、行政と企業がそれぞれの担当枠内で、それぞれ分担して、それぞれが予算を当てて工事にかかる。さらに、公共工事の企業である場合、基本的に企業は資金を銀行などの金融機関より融資を受けてのものであって、行政から資金を得ることは一切ない。)

 しかし、一律にいえる話では、たとえ土台を作るのは技術者であっても、それを使う人材が適切に対処できるのかというのも最大の問題で、たとえば、もしこれが原子力なら原発問題に発展するケースが国内外で度々あった。

 それらの過去にあったリスクのケースを考えると、実際に夫から現場の話を聞いているだけもあって、容易に解決できるとは、自分にはとてもいえない。


 因みに、〔バイオ燃料によって食料価格が高騰する〕といったメカニズムについては、その実例を挙げれば、近年のエタノールの需要の増加によって、サトウキビを原料にしたブラジルでは、輸出できるサトウキビが砂糖の量が減り、2004年から2006年にかけて、世界の砂糖の価格が増倍する一因となった。最近では小麦を輸出していたEUがエタノール燃料に力を入れたことから輸出される量が減り、小麦の価格が高騰したので、身にしみて理解できる話であると思われる。

 1975年から2005年にかけてまで、生産コストには地域差はあるものの、国際取引されるエタノールはわずか 10 %ほどしかない。これに対し、世界の原油の 50 %が国境を越えて移動している。この主な原因は、バイオ燃料の需要が大きい先進国が、国内の農業生産者を保護するような関税や輸入割当を設定しているからである。 

 このような問題が引き起こってしまうのは、時代遅れのスターリンな資本主義よろしく、営利目的で有利に都合よく物事を運ばせようとするから発生してしまう歪であって、経済学の基本とされる〔資源配分問題〕を底辺において考えればこのような発想はまず出ない。

 問答無用の格差を生じさせているなら、なおさらの話。だから〔マクロ経済のみの政治+経済かぶれ〕は、特別に利益を得ている者以外は、基本的に、誰からも嫌われる。

 基本的に現在は、商業高校などの基礎過程では、マクロ経済とミクロ経済をシステムとして同時に見て対応する〔現代経済学〕が主流である。

 実のところを言えば、こういった対応しかできない場合には、たいがいが知識や技術を持ちえていないノウハウのない人物である。逆に、そういった能力を持っている者である場合には決して行わないやり方である。


 以上。ざっと考えられるリスクをあげてみたが、総合的に統計して分析してみると、ある解が出てくる。つまり、デメリットやリスクがあまりにも生じ易く、扱いにくいものであって、誰しも扱えるものでないからだ。少なくとも効率的とはいえない。

 そうなると、妥当なところは電気となるが、それはまた別の機会に取り上げることにする。


 こういった、生産されたエネルギーについて、物理面で見ていくにおいて、それぞれに必要なエネルギーを計算れば、バイオ燃料でのその生産エネルギーは小さなエネルギー量であって、たとえば重機やトラックなどの重たいものを動かすには到底追いつかず、〔エネルギー供給では主力として扱えるものではない〕。あくまでも一次的な処置のようなものである。

 このことについて、見落としてしまっている人々が非常に多いのではないかと思えてならない。(つまり、これですべてが解決できるというものではない。即ち、エネルギー資源問題は解決していないということだ。)

 そして、一般的に見落としがちであるのは、実際の必要とされているエネルギー需要がどれだけあって、そのエネルギーがどれだけの大きさなのかも認識されておらず、エネルギー需要の先で使われているエネルギーで何が使われているのかも見落としがちである。

 つまり、エネルギー需要を必要とする供給先は、自動車を筆頭とした化石燃料をつかうものだけではない、ということである。それらを総合的に見ていくと、人類総人口にエネルギー供給させようとすれば、考えるところ、宇宙に移して本物の原子力をエネルギー源として用い、壮大なスケールでインフラ構築しながら、産業も沿っていかなくならなくなる。

 もしそれを実現すれば、根っこから機械的に対応したシステムであるので、極めて効率的且つ安全で容易に扱い易くなる。太陽光の日傘なんていうのも容易に出来、誰でもその成果の恩恵を受けることが出来るであろう。

 しかし、産業における経済市場では、経済市場では敗者になってしまう企業が出てくるため、それを許さないところが多々出てくるであろうし、国内外、各国においての政治的な問題も出てくることが想定できる。また、巨大な計画となるため、それだけコストも大きくなる。

 また、ソーラー・カーや電気自動車といった身近なものを実現するにも、まずは出来るだけ小さなエネルギーで動かせる自動車を開発しなければならないため、軽量化が必要となるから、部品を小型化にして十二分なエネルギーを蓄えるだけの技術を獲得しなければならない、といったような、数々の手順を踏まなければならなくなる。

 そういった、開発の段階で、原材料とされるものがレアメタルを使用しなければならないものがあるなど、今では希少価値となっている資源もあるため、資源不足からもあって、開発を進めることが出来ないといったこともある。

 このような事情から、理論的には可能な技術であっても、テクノロジーを向上させることが出来ないものもある。

 これらの様々な事情から、実現を難しくしているのも現状となっており、簡単に一言で「温室効果ガス削減」を打ち上げられても、物理上、条件が揃っていないだけ、実現することは難しい。

 たとえ、そういった大計画が先々行われるようになっても、長期計画になるであろうから、実現するまでは、一時的な処置が必要になる。

 そして、何よりも問題にされているのは、人類の総人口が多すぎることで、一人一人の欲求を満たす資源が地球環境には残されていないということである。

 即ち、ここで言っていることは、何につけ、物事には必ず等価分の代償は生じるものであって、エネルギーを生産するだけでも、エネルギーの供給を受けるだけでも等価分の代償は生じる。

 人々は科学技術力での救済を容易に求めるが、少なくとも、エネルギー開発においては、万能細胞といったような魔法のような都合のよい技術や方法や物質など現実には存在していないということである。 

 それは、まさしく『プロジェクトX』の世界に相当するものだと思う。

posted by 0≠素子 at 12:59| Comment(0) | enelgy industry - exploitation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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